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瑠璃色の光を探して

佃島・月島散策


隅田川を渡って、佃島にやってきました。佃煮で有名なところですね~。いまだに点在している佃煮屋さんですが、川沿いには三軒ほどありました。近くに行くと佃煮のいい匂いがぷーんとしてして空腹にはたまりませんでした。常連さんも多いようで、買いに来るお客さんがけっこういましたよ! このようにまだまだ伝統の味が受け継がれているんですね~。
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佃煮は天候が悪く漁に出られない漁師たちが保存食として作ったのが始まりと云われていますが、現代と古き良き時代が混在する面白い風景がここにもありました! しかし高層ビルが漁船のすぐそばに迫ってきて川面を揺らしてます。ちなみにこの高層ビル群はリバーシティ21。石川島播磨重工業の跡地に都心回帰の目的で建てられた8棟の高層マンション群なのです。そして船堀の中には1798年に徳川幕府から建立を許された大幟の柱などが埋蔵されているそうです。
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佃大橋は近代的なコンクリートの橋で隅田川に架かっていましたが、佃小橋は昔のままの朱塗りの橋で、ここから佃堀りが眺められます。この日、欄干の下にはどなたかの命日なのでしょうか、花束が置かれていました。
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その昔徳川家康が摂津の国から漁師を呼んで佃に住まわせたと言われている佃島。名前の由来は諸説いろいろあるのですが、一説には摂津の佃村から来ているとのこと。漁師たちはもちろん御上に魚を差出すために漁をしていたのですが、表向きは漁業を営みながら海上の警護にも携わっていたのだとか。名残のモミジも寂しげですが、昔は活気にあふれていたにちがいありません。
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佃の鎮守様はもちろん1646年に建てられた住吉神社。大阪の住吉神社の分霊が祀ってあります。ここはかつてリトル大阪(摂津)の雰囲気があったのでしょうね。
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中央右の白い建物の所に住吉神社はあるのですが、奥にそびえるツインタワーの高層ビルは隅田川の向こうに建っている聖路加タワー。ホテルと介護付きマンションで、聖路加病院はその向こうにあります。
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さてさて、この界隈にはいくらでも記事にする材料が転がっているのですが、これもその一つ。本物は1866年に建てられた石川島灯台ですが、これは平成になって建てられたもの。モニュメントの下は公衆トイレになってます。江戸時代にこの石川島灯台ができた経緯も大変面白いので、興味のある方はぜひネットで調べてみてください。現在は石川島と云う地名はなくなって佃になっているんですね。
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隅田川沿いを歩いて月島にやってきました。佃の渡しは江戸後期ごろから漁民が私的な渡しとして使用していたようですが、埋立地の月島ができてからは明治29年に月島の渡しもできました。でも勝鬨橋の完成とともにこの渡しも衰退の一途をたどります。高層ビルとのコラボが今を物語っていますね~。
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さて秋の日はつるべ落としといいますが、あっという間に陽が傾いていきます。「東洋一の可動橋」として名をはせた勝鬨橋。1947年から1968年までは橋の上を路面電車が走っていたとか。1970年11月29日を最後に橋の開閉は終わりをt告げましたが、今では夕陽を見にカップルがけっこう訪れています。

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駆け足で回った佃島と月島。色々と歴史的な場所や面白い風景に出合えて大変有意義な時間をすごしました。今回は時間が限られていたので次回はまたゆっくりとこの界隈を歩いてみようと思います。
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※皆様のお陰で無事に2009年の記事を終えることができました。ブログを続けられたのも皆様のお陰です。拙い記事と写真にお付き合いくださり本当にありがとうございました。
by rainbow7716 | 2009-12-29 02:33 | 東京素描