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瑠璃色の光を探して

その時、私は……

3月11日の東北・太平洋大地震は関東地方にいても凄い揺れでした。被災地の方々の事を思うと心が痛みます。TVで見る被害の大きさに茫然として言葉もありません。このような時なので自分の地震体験の画像をupしてしばらく様子をみようと思います。電気の節約にも努め協力したいと思います。

さてその地震ですが、その時、私は……
11日は夕方から雨&雪の予報でしたが、あまりにも良いお天気なので早めに昼食を摂ってぶらりと下町散策に出かけたのでした。私が思い浮かべる下町は「谷根千」。でもこの辺りの地理に疎く知識も全くありません。とにかく歩いて肌で感じてみることにしたのです。
※画像は少しレタッチを施しています。

(1)
谷中にあるお寺や谷中銀座をぶらりと見てまわり(いつかその画像もupするつもりです)、千駄木駅へと向かっているときに見たものはこれ。コミュニティバズ「めぐりん」でした。
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(2)
これは上野公園や谷中・千駄木を100円で巡る循環バスなのでした。前輪が路地へ入ろうとしていますが、細い路地を抜けて循環しているのです。このバスに乗っていればまた違った地震体験をしたのでしょうね。
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(3)
上のめぐりんに乗ろうかどうしようかと迷ったのですが、千駄木駅の近くに「へび道」というくねくね曲がった細い路地をぶらぶら歩いてみることにしたのです。つまり台東区の谷中銀座を抜けよみせ通りへやって来て、そこからへび道へ入ったのでした。
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(4)
このくらいの路地ならどこにでもありそうですが、くねくね曲がった道がかなり長く続いているんですよ!
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(5)
実はこのへび道は、その昔蛇行する川だったのです。大正末期までは藍染川という不忍池に注ぐ川だったのです。暗渠化(あんきょか)と呼ばれる技術によって水源が地下を通るようになり、流路変更されて道になりました。


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実は藍染川は文京区と台東区に挟まれていたので、へび道もそのまま区の境界線になってます。
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(7)
この画像を撮影した直後でした! ぐらぐらっと揺れを感じたのは。私はこの方の後を急いで追い、一軒家を取り払って駐車場にしている場所を見つけ取り合えずそこにとどまりました。近所から人々が10人ほど集まってきました。何しろ初めての場所なので右も左も分かりません。みなさんがおっしゃるにはそこが一番安全ではないかと云う事でした。

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(8)
待機している目の前で家の一部が落ちてきました。大揺れが続けばもっと悲惨な状態になっていたでしょうし、私たちも決して安全ではなかったと思います。大きな揺れに家々のきしむ音がして恐ろしかったです。
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(9)
少し揺れが収まったので、へび道散策を切り上げて一人真っ直ぐな路地を抜けて大踊りに出ました。
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(10)
写真には収めませんでしたが、大通りの酒屋さんでは棚の酒類が店内に散乱し、ウイスキーや日本酒の匂いが外の道まで匂っていました。
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私は地下鉄の千駄木駅へ急ぎました。
茫然とした人々が狭い入口にたくさんいます。
地下鉄は一旦停まっていましたが、私はとりあえずトイレを見つけた時には利用しておこうと思ったので地下鉄でトイレをお借りました。

地下鉄内でもかなりの揺れを感じました。
地下鉄の中はパニック状態に陥り、子供たちが叫びながら階段を上って行きます。
お年寄りが若い人に抱えられ、よろけながら上っていきました。

へび道よりも閉塞感があって地下鉄はさらに恐ろしかったです。

私は大きなビルや商店街があるJR日暮里駅へ急ぎました。
すでに長蛇の列ができているようだったので聞いてみると、JRではなく公衆電話に並んでいるということでした。
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JRの駅はすでに入場が止められ構内のお店も閉まり、人々は谷中霊園に誘導されました。
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谷中霊園にはすでにたくさんの人が集まっていました。少し霊園で待機しましたが、私は近くのコンビニへ行き食料と飲み物を買い求めて長期戦に備えることにしました。
そこで震源地は東北で震度7だという情報をキャッチしました。
ついでに薬局でホッカイロや目薬、ウエットティッシュや歯磨き用品なども買いました。

コンビニのそばに喫茶店「ルノアール」がありました! 
入口には空きを待つ人があふれていましたが、私は禁煙席の一人と云うのが幸いして、あっけなく相席ですぐに座ることができました。

みなさん見知らぬ人同士ですが、隣に座った人々で日暮里に来たいきさつや地震の恐ろしさを口々に語りました。
ある人は歩道橋の上で地震にあい、何かにすがらないととても立っていられなかったとか。

和気あいあいと時間を潰していたのですが、店内の若い人が鶯谷のビジネスホテルに部屋があることを教えてくれました。
そこで喫茶店を出て見知らぬ女性4人でホテルに行くことに決めました。

四人の中にはミャンマーから来た女子留学生もいました。
信州大学で建築学を学んでいるとのっこと。日本語はほとんど不自由なくぺらぺらでした。シンガポール経由で成田に着き日暮里で地震にあったのです。
その日は調布にある友達の家に泊めてもらうことになっていたそうです。

ダメ元とは分かっていたのですが、日暮里駅そばの結婚式場&ホテルに入ってみました。
すでにロビーには避難した人が大勢座り込んでいました。
ホテルの人が鶯谷にはその手のファッションホテル(パッションホテル?)がたくさんあるので、そこを利用するのも手ですよと教えてくださいました。

昔は鶯が鳴く街だったそうですが、現在はその手のホテルがたくさんあると云う事でした。
線路伝いに歩いていくと、すぐにその手のホテルは見つかりました。

空き部屋を尋ねてみると、幸いに2部屋あるとのこと! ホテルの名前は「ローマ」。
私はミャンマーの女学生とシェアすることになりました。
こうして日本人とミャンマー人がはるばるローマのホテルに泊ることになったのでした。

その手のホテルなので、大きな鏡があったり、ホタテ貝の形をしたバスがあるのかと思いきや、大きなダブルベットと枕元に避妊具があることを除けば、ビジネスホテルと何も変わりませんでした。とても清潔なホテルでした。

部屋を眺めたおばさま曰く、部屋にある大きなTVは、スイッチを入れるといかがわしいビデオが流れ料金を取られるかもしれないと。
さっそくフロントに行き、そのことを尋ねてみました。
フロントの人は驚いた顔をして普通のTVで無料で観られますよと答えました。
そして白ワインと赤ワインまでサービスしてくれました。

その夜、地震が縁で知り合った四人は、一部屋に集まりワインで乾杯し、奇縁に感謝しながらも地震の恐ろしさをかみしめました。
ほろ酔いになった頃、四人は次の日に備えてぐっすり寝ることにしたのでした。
こうしてホテルローマで地震の夜は更けていきました。
by rainbow7716 | 2011-03-12 18:10 | 東京素描