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瑠璃色の光を探して

築地界隈を歩く 

今回急に上京したのですが、それには理由があり、築地という町に大変興味をいだくことになりました。実は築地にある聖路加病院に夫が急に入院し、網膜剥離の手術を受けることになったのです。手術は無事に終わり、一週間で退院することができました。築地にある聖路加病院は1902年(明治35年)にトイスラーによって設立され、患者の感染防御やプライバシーを守るという観点からほとんどがバス、トイレ付きの個室という恵まれた総合病院です。
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入院したのがクリスマス前だったので、聖路加病院の創設者トイスラー記念館にはイルミネーションが飾られていました。病院はその背後にある建物です。(1)の十字架のある建物は創設当時の病院で、現在では聖路加看護学校の建物の一部として残されています。聖路加病院は全館野戦病院化が可能で、平成7年に起こった地下鉄サリン事件では直ちに当日の全ての外来受診を停止し、被害者の受け入れを無制限に実施したり、礼拝堂に負傷者を収容するなど最大の受け入れ先となりました。
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この聖路加病院には色んな記念碑が立っていて昔はすごいところだったのですね。例えば米国公使館跡、明治学院発祥の碑、慶応義塾開塾の碑、芥川龍之介の生家、浅野内匠邸跡など。九州生まれの私には、米国公使館やキリスト教係の聖路加病院はむしろ、青山や赤坂界隈にあっても不思議ではないと思うのですが……。病院のすぐ先には隅田川が流れ、橋を渡ると佃島があるんですよ! 
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どうして築地がこんなハイカラな場所だったのか、不思議に思って調べてみると、築地は当時、最先端の地域だったのですね~。本願寺から聖路加病院にかけて、かつて外国人居留地だったそうです。築地市場は日本近代海軍の始まりの場所。記念碑が残されています。 
※古い日本旅館や狭い路地、海軍の記念碑、波除神社などコンデジで撮影したのですが、カードリーダに取り込んだ時にSDカードを壊してしまい、画像が読み取れなくなりました。従って今回は一眼で撮った築地と佃島の画像しかありません。
隅田川にはユリカモメがたくさん飛んでいます。人懐こく川岸を散歩する人がそばを通っても気にする様子もなく自由気ままに近くを飛んでいます。前回も摩天楼の谷間にハクセキレイを発見しましたが、東京の自然もバカにできません!
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下町と云うと、狭い路地ばかりという印象でしたが、ここは現代と古きよき時代が混在している実に面白いところです。佃大橋を渡ってみると、なんだか近未来の土地に来たようでした!
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海の方を眺めると、こんな感じです。
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そして佃大橋を渡ると、下町情緒あふれる光景が広がっています。
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ということで次回は佃島の様子をお届けします。今回はコンデジで撮った画像が取り込めずにとても残念でした。
by rainbow7716 | 2009-12-28 19:43 | 東京素描